2000年に介護保険が、開始されました。
障害者の方では、支援費で開始されたのです。障害者のケアーは
その当時、移動51時間、支援費100時間がありました。
当時は移動に関してどこに行ってもいい事になっていました。
1ヵ月51時間以内だったら、東京や遠方にも行くことが可能でした。
しかし、支援の範囲が狭くなっている方もいらしゃいます。
介護保険に比べ障害者の支援は、自立を促す支援なのです。
ヘルパーさんにとって、介護保険に比べ単価が低いです。しかしやることは、ハードでかなりの体力が入ります。
ここでも、親達の考え方が、違うと
かなりのヘルパーのお仕事に差が出て来ます。
ヘルパーさんにお世話になっていると言う考え方とヘルパーは仕事としてきていると言う考え方の差は、大きく、障害者も親の考え方でずいぶん変わって来ます。
やってもらうことが当たり前の障害者。手伝ってもらう考え方の違いには、自立することの大切差がが出て来ます。洗髪にして大半の方はショートにしています。自分の能力も考えず、やってもらう考え方はロングヘアーにしています。
そして洗髪する時の要望も、多いのです。最近障害者はやっていただいて当たり前の方が多いみたいです。
私も障害者です。私のヘルパーさんのお話から聞く所です。
個人的なお話をすることは避けられています。ヘルパーさんはある障害者さんとお話が始まります。
事業所によって違います。
私はピアカウンセラーの、資格を持っているので、ヘルパーさんの話題は、流しますが、自分が幼い時とはかなりの違いを感じます
私は幼い時は、ヘルパーという存在が無かったのです。
私は結婚しています。こんなありがたい制度が無かったので、自立したかったので、結婚を考えました。
でも、一人で結婚はできないので、必死でした。両親も探してくれました。でも、障害があることに、かなりの負い目があったみたいです。
世の中は現在のように甘くなかったのです。多目的トイレ等はなく、あるのエスカレーターだけです。
ハードルは高かったです。
結婚してしばらくして自立支援ができました。今とは違い事業所もあまりなく、障害者ケアーにまだ世の中の方は浅薄でした。障害者は施設で生活する方が多かったのです。
だからヘルパーさんも一生懸命にケアに励んでくださいました。
事業所のメンバーもあまり変わりませんでした。最近、国の援助、肉親の死亡等で、世の中の弱者が浮き彫りにさらされつつあります。
私は介護保険にお世話になっておりません。近い将来、障害者の負担は
大きくなり、首が回らない事態がくるでしょう。最終的に施設行きと宣告される事を恐れています。
私はタバコを販売しておりますが、
タバコの売り上げの降下は、始まっています。
アドセンスにもっと早く挑戦したかったですが、心と身体のバランスがどれなかった事、ネットに対して知識が甘かった自分への罰と思っています。
泣き言を言っても仕方がないと思います。
大手のヘルパー業界は、苦肉の索をとっています。
初任者研修を勉強しただけで、重度の障害者の訪問の仕事をされています。
ヘルパーが足らないので、苦肉の索です。その方は60近い方です。か
ベテランの若いヘルパーが、会社と自分の考えで何度も同行をされています。私達、障害者は地団駄を践むばかりで、苦情をいいたつたいですが、 事業所の実態を理解すると、沈黙しかないのです。
小さな事業所もそうだと思います。
ヘルパーは給料を貰う権利があり事業所は払うのが義務です。この方程式はどこも同じですが
再三が会わなくなったら、廃棄か倒産です。
この方程式は大なり小なり企業でも、同じです。
会社の社員は、その事を避けたいので、頑張って仕事に励んでいます。
この方程式を理解して勤務しているヘルパーは一握りです。
私達はヘルパーの支援が必要です。
ヘルパーは仕事ですが、