今回は私の経験を基に述べさせていただきます。
中途障害者の恋愛は、私にはわからないです。
私は高校まで障害者ばかりの学校で学び、大学、就職、結婚となり、今に至っています。
小学生から能力別に別れ、幾分優越感になっていた自分でした。
さて、小学生の頃お話です。
まず、試験等早く、終わると必ず
手でできるサッカふーを彼とやっていましくた。
2人とも下肢に障害があったのです。
彼は下肢がダッキュウになっていました。私は下肢と左手が不自由でした。
小さなプールの中で手でできるサッカーをしました。相手側の壁にボールが着いたら得点になる事でした。
彼も私も必死になり遊び時間の過ぎることを、忘れていました。楽しい時間でした。
中学に進学すると、動けない私は、彼の家に電話をしました。彼も私もお話か大好きでした。1時間はあはっという間に過ぎて行きました。
私は、数学が苦手だったので、また電話でした。丁寧に教えてくれました。
今でも彼の電話番号は覚えています。当時はデートもせず
電話での交際でした。高校まで形は変わっても進展はなかったです。しかし、お互いに違和感なく良いお友達でした。
思春期の回想は、商社に、入社できた時でした。私は大学は文学部だったのです。身体が不自由なので、座ったままできる経理に配属になりました。
簿記が理解できないまま、お仕事をしていました。
銀行口座の残高、郵便の仕分けなど
どなたでもできるお仕事ばかりでした。、
そんな時、九州からあしなが青年が、経理に来ました。
とても私にやさしく甘えてしまいました。その方の席の横が、わたしの席になりました。わからない経理の事を細かく指導してくれました。私もアフター5になると、経理学校に通いました。その方のおんぶに抱っこは嫌だったからです。勤務後の勉強は身体が不自由な私にとって、きついものだったのです。頭が痛くなることもありました。でも翌朝、「解らない」ところがあったら、いつでも教えて上げるよと優しくいつも、その方が言われたので、心の杖になり、簿記3級に合格して、お仕事のランクも上がりました。
バレンタインデーにはその方のためチョコレートを買いに行きました。
その方は、ホワイトデーに、私の机の引き出しにチョコを入れてくださいました。どのようにしたら恋が進展するか思案しました。私がその方に甘えていて、自から彼の為になる行為をしなかったのが、原因でしょう。身体が不自由でも恋愛ができます。おもいやりがたらなかったのです。
。
だから、お互い結婚はなかったのです
、。
私は弟が3人います。障害者が存在すると、弟の結婚のハードルがたかく、両親はひと昔の考えで障害者を心配しているが、存在を認識しなかったのです。
私がお世話になった商社は、人間尊重をモチーフにした会社でした。
故に、長くお世話になったのでしょう。
私は結婚を思いたったのは、こんな環境におれたからでしょう。
障害者として、差別せず能力次第で
勤務できた事にあります。
その当時は、年頃になったので考えていかなくてはいけないと、弟のこ結婚を期に考える事になりました。
親に話すと、余計に考えると思い、単独で行動しました。
結婚と恋愛は違います。恋愛の延長に結婚があります。
その当時、障害者の私にとって、上の方程式はできないとしか、浮かばなかったのです。
女の方の障害者はあえて、結婚しなくてもよいのです。男性の身体の構造と女性の身体の構造が違うから、障害者の女の方の結婚があまり少ないと思います。
しかし、プラトニックラブでもかまいません。障害の有り無しを考えず恋にトライしてください。
私は夫婦になりました。
いろんな事を結婚してから、教えてもらいました。
1人でいるほうが、気楽に人生を歩んで行けますが、やはり孤独は寂しいです。恋愛から結婚についてお話したいですが、ピリオドを打ちます。