私は既婚者の障害者です。
両親は私が結婚するなんて思っていなかったです。
特に父は、男性の立場では、私を女として観ていませんでした。
結婚とは夫婦生活が伴って来る殻です。
当時、会社の同期が次々と結婚して行きました。
私は羨望の眼差しで仲間をみてきました。
学生時代には無い、異様な物でした。
でも私は、就職をしたのだったら、結婚と願いました。
会社の中では仲間と扱ってくれましたが、
父は傍観者の様に、私を観察していました。
私は結婚をしたかったのです。弟、
試行錯誤しておりました。当時結婚相談所が、
門を叩きました。相談所の責任者が
普通の方なら、貴女の履歴書に疑いはなく、
相談所のかたは、相手にしてくれなかったのです。
とにかく、料理教室の門を叩きました。
障害者でもいけますかと尋ねまかした。教室は、
仕事が終わってからの料理教室だったので、
学科の方は何とかいけました。しかし、実技になると戦争でした。
2~3品を調理しなければならないのです。
もちろん、下ごしらえ済みの材料を用意してくださいました。
私はできる事からやり、
いくたびメンバーが変わります。
1年の期間です。そんな時だんだん
メンバーが、
たかが、「だし巻き」でも箸で玉子を巻く必要がありました。
私は家庭でも料理に興味があったので、
また、私は運転免許をとる事にしました。
当時障害者の車は、オートマックスだったです。
すぐ様、乗ることができました。
これも波乱万丈でした。
私は2つの合格キップを手にして、再度、相談所に行きました。
相談所の先生は、
安堵感がいっぱいでした。
しばらくして、
先生は「どうする」と聞かれました
私は会いますとお答えを言いました。
その時、はじめて親に報告しました。
その時、夫の病が網膜色素変性症とわかりました。
当時、その病がどんなものか、理解できませんでした。
色々と調べた結果判明しました。
私は先天的な脳性マヒ彼は中途障害
この違いは述べましたので、割愛いたします。
両親は主人を観て、冷静に反対の立場になったら、
結婚願望と沢山の障害者と接する事が、多かったので、
ゴールインしました。
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